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カテゴリ:roots( 12 )

「使う」と「遣う」



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「気使い」と「気遣い」の違いについて。

「気づかい」って、2種類あって、微妙に別物として存在しているのに、
違いをちゃんと使い分けられていない人が多い気がします。

新聞等では「遣う」より「使う」が頻用されているから、同じ意味として捉えられがちだけど。。
そもそも漢字が異なるので、微妙な意味合いが、本当は変わると思うのです。

「使う」は使用する。
「遣う」は派遣する。

「気を使う」は、気持ちを使用することです。
「気を遣う」は、気持ちを相手に遣えること。

「気遣い」とは、気持ちを相手に寄り添わせること。
だから、相手を思いやりたい時に「気遣い」は生じるものだと思うのです。
そこに在る自分は二の次で、相手優先の思いやりだと思います。

誰かの機嫌を取る時は「気を使う」
そこに在る最終的な目的には、利己主義的な意味合いが含まれていて、無償の愛情ではないものに変わります。
人間関係の環境整備が根底になっているのが、「気使い」の方のような気がします。

それに対して「気遣い」とは、愛情が付随した「思いやり」です。

「気使い」は必ずしも思いやりが根底にあるとは限らない。
でも「気遣い」は、自分よりも相手に心を寄り添わせる優しさから起つものだと思ってます。

利害関係になってはならない家族や親友や恋愛に「気を使う」必要はないけど、家族や親友や恋愛のような大切な人だからこそ、相手に対して心を寄り添わせる「気遣い(思いやり)」は、必要だと思ってます。

優しさを寄り添わせること、
正誤正否の分別が世論良識から外れていないこと、
思いやりの気遣いをきちんと持てること、
家族や友人や大切な人には、大切だからこそ、そう在りたいと思います。

気遣いは、気使いに非ず… なのにな。。

どうしてか、時々傷つきます。
by junkers-by-yun | 2014-01-09 02:09 | roots

見納める準備



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この景色を、そろそろ見納めにしようかと、悩む10月。


色んな見慣れた景色を、一個ずつ手離したら、何かが楽になるかもな…と。

だけど夜に会った同僚と、仕事の話を少しばかりしたら、私が今携えている幾つかの見慣れた景色の中の、この会話の世界だけは、もう少し割り切る努力をして、手離さずにいるべきなのだろうか…とか。

いや、むしろ色んな仲間のやり易さを考えたら、一番真っ先に手離すべき場所が、この会話の世界なのかもしれないな…とか。

もしかしたら、自分で手離す手離さないを選ぶ以前に、手離してくださいと、言われるかもしれないな…とか。


引越しの度に、断捨離するタイプなので、もしこの景色と別れたら、この部屋の中の、次は何を捨てようかな…とか。


街でも間取りでも距離でもなく、真っ先に景色で決めた部屋って、手離すことを想像しただけで、こんなにも後ろ髪引かれるものなんですね。。不思議と。

生まれてから7回も引越しをしているけど、新たな場所への思いよりも離れる部屋への思いが上回ったのは、この部屋が初めてです。

おかしいな…私ずっと南下する渡り鳥ごとく、引越しには慣れてるはずなのにな。…謎。


東京タワーは、半年前に消えてしまったのだから、もう、名残なんてないと思っていたのにな。。
by junkers-by-yun | 2013-10-11 01:51 | roots

書と句とシナモンココア




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現代書道とシナモンココア。
それから、現代アートのとある展覧会のパンフレットと、ある俳人の宣伝を少し。

書が芸術になるのは、漢字文化だからでしょうか。
漢字圏外で文字が芸術になっているのって、そういえば見たことがない。。。気がする。

一時期歌壇では写真短歌が流行していましたが、20代後半の時にある人から言われた言葉をふと思い出しました。
「写真短歌は多いけど、日本画と短歌を組み合わせたらどうなの?」と。
何故写真なのか。何故写真がヒットしたのか。それって瞬時を切り取るから、その時の「想い」と「画」のリアルが重なれるのは、やっぱり写真なんですよ。絵じゃ、言葉と画のスピードが違いすぎる。思って描き始めて仕上がる頃に、言葉は過去のものになってしまっていて、読み手には分からないけど、詠い手にの心からは離れてしまうから、「写真」だったんだと思う。



以下、珍しく個人の宣伝です。

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すずき巴里「パリ祭」






俳人の従兄弟伯母の句集新作が角川から出ています。

祖父も俳人でしたが、祖父方の血はどうも俳人は居れど、歌人はなかなか出ない模様です。
私が何度出せど佳作や入選止まりだった角川短歌。こちらは角俳大賞受賞句も収録だそうで。・・年の功というか、やはり、圧倒的な人生経験の違いでしょうか。

お気が向かれましたら、俳句にご興味お有りでしたら、ぜひ。(完全な身内宣伝ですみません;)

完全書き下ろしではありませんが、恐らく俳壇等に寄稿したものも読めるのではないかと思われます。
口語が多いので、読みやすいと思います。
句は字数の制限と季語の関係で創作が難しい文学ですが、歌のような芳しさと情緒的な作風と思います。
俳壇に疎い私は存じ上げませんでしたが、帯は著名な俳人さんが寄稿くださっているようです。
by junkers-by-yun | 2013-01-06 11:56 | roots

I exist.





とある雑誌の、コピーのようなメッセージ。

I think.
I feel.
I create.
I explore.
I desire.
I analyze.
I solve.
I endure.
I balance.
I believe.

I am.
I exist.


日本語にすると、なんか重っ・・と感じましたが。
でも、何度も読み返えさせられる、重力のような、逃げられない重さ。

訳さずとも単純に、そのままなのだけれど。

私は考え、感じ、創造し、私は探求し、私は欲する。
私は分析し、私は解く。
私は耐え、自己の平衡を保ち、私は信じます。
私は存在する。
存在します。

うん。なんか、私が私が・・というところが、発想が、欧米的。
謙遜や謙譲文化を美徳とする日本人には、これだけ「自分は」を連呼されると、やや重い。
でも確かに、「自分を持つ」ということは、とても大事で、それは否定しない。


形ある肉体と、形無き精神と。
有形と無形の両極を持ち合わせているのだから、人間、揺れ動くのは、万人、致し方ない。
求められるのは、他人を許せるかどうか。自分を許せるかどうか。


消えるのは簡単で、自分のルーツやアイデンティティーからは逃れられないけれど、でも、自分以外の全てのものからは、極論、私は簡単に消えることができるのだと思ったら、今抱えているものの全ては、私が「握る」動作をやめたら、全部、ヘリウムの銀色の風船みたいに、空に消えていくのかな・・・。私が「握る」のをやめても、そばに残ってくれるものって何かな・・・とか、考えたり。

私のどうしても失えないものが、私だけが失えないものであったら良かったと、心底思います。


今夜の脳内BGM。柴崎コウ「かたちあるもの」
by junkers-by-yun | 2012-12-19 03:55 | roots

初冬の桜




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命の息吹。
先週、天王洲アイルのとあるビルの、人工的な中庭にたくさんある桜の樹。
12月なのに、ちゃんと芽吹きの準備をしていて、冬の初頭だというのに、雪もこれからだというのに、命はちゃんと次の準備をしていることに、心を揺らされました。

桜が好きです。

花で何が好き?と訊かれたら、10代の頃からずっと、真っ先に「桜」と答えます。
桜は花も香りも、咲き始めも満開も、葉桜も好き。

日本の香りは別格ですね。桜、沈丁花、金木犀。
でも、なかなか手に入らないから、普段は柑橘系全般とローズを。

高校生の頃、川沿いの桜並木の堤防を自転車で遠回りして帰ったことや、夏服のセーラーになる頃には、葉桜が綺麗で、真上を見上げながら帰ったことや、初めて一人暮らしをした街で、いつも通る道の金木犀の香りがとても好きだったことや、子供の頃の晴れた日の雪の匂いや、春3月頃にふと香る土の匂いを、懐かしく思います。


あと三ヶ月余りでまた、春、巡り来。


今夜の脳内BGM。岡崎律子の「約束」
by junkers-by-yun | 2012-12-18 01:19 | roots

オッサン論。



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どうも。オッサンの哀愁にめっぽう弱いゆんです。

友人に、ひたすらオッサン論を語る。語る。語る。
やがて語るだけじゃ飽き足らず、見せる、聴かせる、ゆん大興奮(笑。orz


いえ。たまたま友人が「村下孝蔵の初恋ってどんな曲か知らない。けど、糸井新聞読んでて、気になってたんだよね・・・」と。
えぇぇぇ??村下孝蔵の初恋を知らないの????(驚愕
ということで、鉄板の「初恋」だけじゃなく「踊り子」と「ロマンスカー」も一緒に収録されているLiveDVDを観せました。

友人の感想。
「こんな普通のオッサンだったなんて。知らなかった」

いや、見た目普通のオッサンこそが、その風貌と見紛うほどの奇跡の楽曲を生み出し、奇跡の声を発するわけですよ。
小椋桂しかり、村下孝蔵しかり、久石譲しかり、さだまさししかり。。。

で、その「何でもないそこら辺に居そうなただのオッサンがどんなに素晴らしいか論」を延々と。
そして昨今はなぜ、かつてお兄さんだった(はずの)オッサン達が紡ぎ出してきたような、文学的な音楽が無くなってしまったのかと哀れむのです。
五月雨を見て翠色と感じたり、傘が無いと延々シャウトしたり、そんなの、今の時代ないし。

例えば、防人の詩は、明らかに泣けます。
今じゃなく、この頃の若い彼(多分まだ20代。でも私にとってはやっぱりオッサンw)は、今よりも発声の声量が明らかに違って、神懸っているとすら思うのです。
東大寺のライブ映像ですが、これはきっと、脈々と続くお寺の仏様の前でやっても、絶対罰が当たらないと確信できるし、若年層は「興味ない」っていうかもしれないけれど、でも、日本人なら聴いておくべき、日本の原風景が受け継がれた遺伝子レベルの曲だと思うのです。というか、もはや文学です。終盤のサビは、もはやソウル。

その後で、清春の防人の詩を聞くと、清春好きだけど、明らかになんか違う。。orz

それから。私が泣けるオッサンその2。
尾道三部作の「ふたり」
大林監督と久石さんWオッサンの、どっちも歌手じゃないオッサンのこのデュエットが、無性に泣ける草の想い(:;)切な過ぎて、哀愁漂いすぎて、なにこれ切ない・・・泣ける。・゚・(*ノД`*)・゚・


私が泣けるオッサンその3
愛しき日々。言わずもがな「白虎隊」のエンディング。
かたくなまでのひとすじの道 愚か者だと笑いますか?・・・って(:;)
ひたすら夜を飛ぶ流れ星 急ぐ命を笑いますか?・・・って(:;)
気まじめすぎた真っ直ぐな愛 不器用者と笑いますか?・・・って(:;)
なんてこと言うのん・・・笑わないよ。。(:;)って大真面目に言いたくなって、白虎隊思い出して、即号泣可能。
これ、べーやんの愛しき日々
こっち、小椋さんの愛しき日々


そもそも、世の中の若い女子は、オッサンを足蹴にしちゃいけません。オッサンを観る「角度」を変えてみればいいのです。
戦後たった数十年でこんなに復興した国は他にないのです。
戦後の高度成長期も、復興も、全部、オッサン達がしてきてくれたことなのです。
そんで、哀愁満載なオッサンほど、いい味出してるオッサンほど、泣かせるのです。
加齢臭言って、嫌っちゃいけません。加齢臭出すほど、働いてきたんです(・・・たぶんw)

私、1940年代~1950年代生まれの才能溢れるオッサンにこよなく共鳴してしまうのは、なんでだ・・・orz(謎。

そもそも「歌詞」も所謂「詩」であり短編の文学として在ってもおかしくはないわけで。
ならばなぜ昨今は、こう、文学的な音楽が少なくなってしまったんだろうと、少し悲しい。

と、友人らと延々オッサン論。


理不尽な思いも、不条理な現実も、覆せない葛藤も、戻らない過去も、全部、全部経験して知っているのが、世の中のオッサンであり。
オッサンって、・・・すごいなぁと。この荒波を、50年も60年も70年も生きているのかと思ったら、やっぱりオッサンとは、奇跡の存在です。

3年前までの新宿4丁目に、今でも戻りたくて、戻りたくて、新宿4丁目の交差点を渡るたびに、帰りたくて仕方ないのだけれど、事は同じじゃなくても、こんな風な混沌とした抜け出せない過去とかを抱えても、それでも50年も60年も70年も生きてきたのかな・・・と思ったら、オッサンほど私はまだ達観はできないけれど、もう戻れないなら、せめて後悔のない生き方をしなければなりません。



写真は、夕刻@赤坂。
夕焼けが綺麗でした。

もう、新宿じゃないんだな・・・って思ったら、なんか、とりあえず、今居るところで、そういう信頼関係をちゃんと欲しいと思って、なのにこの夏、シャットアウトを1件くらって、凹んでます。


本日の食事。おかしな事になってました。
ランチ、あんかけ海鮮五目汁そば。(塩)
ディナー、あんかけ五目かた焼きそば。(醤油)

かろうじて、塩味と醤油味で、バリエーションを変えてみた。
by junkers-by-yun | 2012-09-11 01:56 | roots

once in a blue moon




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昨夜のブルームーン。

ブルームーンってwordを、夕べ初めて教えてもらった。

一ヶ月に2回、満月が見られる、数年に一度の現象のことだそうで。
深夜に一人お月見。

次は、2015年なんだって。
忘れずに、次も見れたらいいな。



一番古い記憶について。

夜、古いおうちの居間で、四角形の座布団に対角線に寝かされていて、
周りには家族が座っていて。
TVには野球のナイトゲーム。
蛍光灯の明かりと、50代の祖母の顔と。
伯父の顔も、幼い従兄姉がそこに居たのも、母が私にベビーパウダーをはたいていたのも。

間違いなく、1977年の、8月か9月の我が家の光景を、今でも鮮明に覚えています。

一番古い、私の記憶。

もちろん、視界に映るその四角い箱が「TV」だということも私は知らないし、
流れている大人たちが動く「野球」というものも、それが「スポーツ」というものである事も、
家族の会話の意味すら分からなかったけれど、
でも普通に、その空間を眺めていて。

私は話せないので、なんだかわからない声を発しながら、「あー」とか「うー」とか、とりあえず言って、四角い座布団の上で、手をバタバタしていました。

言葉はただの音としては聞き取れるけど、意味なんて理解出来ないものが圧倒的に多くて、
一個一個、「バンザイして」と言われて両手を上げさせられたら、
「あぁこれがバンザイか・・」と、そんな風に思ったのも、ちゃんと覚えています。

その夜を境に以降をずっと覚えているわけではなくて、その夜を境に、覚えている日が断続的に少しずつ増えていった、という感じで。


今はもう住んでいない3歳まで住んだ古いおうちの記憶は、
今でも鮮明に覚えています。
初めての夏の夜の記憶や、初めて満月を見た日のことも、
爪を切られるのが怖くて堪らなく嫌だったことも、
大きなジューサーで、バナナとミルクのジュースをいつも作ってもらえたことも、
夜中に目を覚ましたら、枕元の行灯の小さな灯りの下で読書をしながら、
グリコのセシルチョコレートを食べていた20代の母の姿も、
夏の日に階段から転がり落ちて扇風機に頭打って大泣きした瞬間のことも、
今でも鮮明に覚えています。

なのに。なのになんで、歴史の年号や数学の方程式は、あんなに覚えられなかったのか・・・orz


初めて満月を見た夜。
あまりの綺麗さと、まだ山の端あたりに浮かんでいた低い満月の大きさに、まじまじと見入ったのを覚えています。

私はまだ歩けなくて、話せなくて、母に抱かれて階段を上がって、2階の廊下の大きな窓から、巨大な金色の丸いものを母が指差して、「今日はお月様が綺麗だねぇ」と言って、「ほほー、あそこに、このあいだ聞いた気がするウサギとやらがが居るのか・・・」みたいなことを、素で思ったのを覚えてますorz・・・じゅ、純粋すぎる(笑。


セブンスターの匂いが好きです。
私はセッターなんて重くて吸ったことはないけれど、お父さんと呼んでいた伯父の匂いを思い出します。

膝を割った体育座りをしている伯父の、その膝の中に潜り込むことが、お姉ちゃんと呼んでいた従姉と私の、密かな争奪戦でした。
by junkers-by-yun | 2012-09-01 21:00 | roots

邯鄲





どれもこれも、邯鄲の夢のようで、そもそも人の世の栄枯盛衰なんて、どれも儚いものかもしれないけれど。


まったく別の、ある曲の歌詞を探していたはずなのに。
裏の意味のある曲の訳詩集に出会ってしまって。

ハナミズキの歌詞の本当の意味って、有名だから、ご存知の方もきっと多いのでしょうけど。
あれは恋愛の歌でもなく、ただの家族愛の歌でもなく、完全なる鎮魂歌で。

でも、配役をきちんと理解したのは、今日が初めてで、そう思って聴いたら、部屋で、色んな思いが交錯してしまって、居た堪れなくなりました。

避けられない事情(歌詞ではテロによる死)で、一緒に生きれなくなった父親(僕)が、物心付かない我が子(君)に送った言葉や、思いとかが、切々と綴られていて。
ハナミズキの花言葉は、「私の思いを受けてください」

暑すぎた盛夏に生まれた私には、9.11の鎮魂歌であるはずの曲なのに、訳詩を読んだら、色んな思いが重なってしまいました。

訳詩で、親が我が子に、「自分を待つな、探さなくていい、知らなくていい」って言っていて。
でもやっぱり、子は探すよ。必至に探すよ。
そんな風に言われたら、胸が痞えるほど泣きながら、それでも、きっと探す。
もう会えなくても、その破片や記憶の断片が欲しくて、知らなくてもいいわけがない。
だから、そんな風に言わないで欲しいと思ったら、ものすごく、色んな思いが交錯して、悲しくなって、一人で号泣してしまって、酸欠と脱水で、頭痛。


極稀に不意打ちはあれど、泣ける場所は、凡そ自分の部屋しかないし。
極稀に不意打ちはあれど、誰彼構わず人前で泣ける訳でもないし。


もうすぐ、八月尽。
真っ青な空に、入道雲がまだまだ蔓延る盛夏なのに。




 夏は暑すぎて 僕から気持ちは重すぎて    
    今年の夏はとても暑い特別な夏で、
    僕から君に向けての様々な思いは、とても重くて

 一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう    
    君を連れて渡ることは出来なくて、
    君とお母さんと一緒に、この川を渡る事はできないんだ

  どうぞゆきなさい お先にゆきなさい    
    君はちゃんと生きなさい 君は先に未来へと行きなさい

  僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんととまりますように  
    僕がこの現実を全て受け入れて消化できているわけじゃないけど、
    この僕のやりきれない思いや我慢がいつか実を結んで、
    君には平和な日々が来ますように

  君と(僕の)好きな人が、100年続きますように        
    君と君の母である僕の最愛の人が、100年続けばいいと願っているよ

  待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ    
    僕の事は待たなくていい。探さなくていい。僕を知らなくていい。

  薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように  
    まだ生まれたばかりで薄紅色の頬が可愛い君のこれからの未来が、
    ちゃんと最後までいけるように、
    僕が君と居れなくなったようなことが、君にはないように、

  君と好きな人が、100年続きますように        
    君と君の大切な人との時間が、100年も続きますように
 
 
 
by junkers-by-yun | 2012-08-27 23:00 | roots

祖父に会いに・・



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あ、この人が祖父なわけではありません(笑。
この人は、私の愛人~ラ・マン~・・・もとい、ラにゃんです。

居間をてぽてぽ歩いているところを、私に捕獲され、my腕の中。
あっついのに、えらい迷惑だったことと思います。許せ、ラマン・・・もとい、ラにゃん。


火曜の午後、晴れた夏の日のベランダで、布団を干して、寝具を一式洗濯して、シャワー浴びて、何するでもなく映画観てたら、ふと、祖父に会いに行きたくなりました。

夕方17時過ぎに「今日帰る」と突然母に電話したら、
あまりに急に言ったのと、時既に夕方だったので、ものすごく面倒くさそうな声で「何も今日じゃなくても・・・」と言われたのですが、「でも帰る」と言って、そそくさと上野へ。
一路、祖父へ会いに。
ようは、お墓参りです。

帰省すれば仏壇へは手を合わせるようにしているけれど、「しばらくお墓参りしてないなぁ・・・」と思うと、時々無性に、お墓参りにいかなくては・・・という思いにかられるのです。

私は無宗教だし、そんなに神仏事に熱心な方ではないのだけれど、でも、知り得る限りの先祖くらいには、ちゃんと気持ちを向けていたいと思うのです。


仏壇の前に座った時や、お墓に行った時に私が決まってするのは、なんでもない世間話ばかり。
声には出さないけれど、「ただいま」とか「お爺ちゃん元気?」とか「今日も暑いね」とか「ちゃんと生活してるよ」とか「おばあちゃんも仲良くみんなで涼しいとこに居てね」とか。
くだらなすぎる世間話をひたすら。

お経が読めるわけでもないし。だから、近況報告を。ただ、それだけなのですが。


旅気分で遠くの神社の遠い神様にはお参りに行けるのに、自分の身近に存在した先祖には手すら合わせに行けない・・・って、そんな矛盾なことはないだろ。と、なんとなく思って。


とりあえず、目的達成と共に、すんなり帰京。

猫抱いたし。満天の星見れたし。母のごはん食べれたし。満足満足。



長くて、短い、私の夏休み。半分終わり。
by junkers-by-yun | 2012-08-23 01:30 | roots


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今、ペルセウス流星群が、ピークらしいんですっよ、奥様。おほほほほ

深夜、ベランダに出ても、雲が広がり始めていて、流星「群」ではなく、ただの流れ星三個を、雲の隙間から見つけて終わる。でも、強い光で、綺麗でした。
15日まで、流星のピークらしいです。
短く儚いものって、切ない。桜も、流れ星も。でも、桜も天体も、無性に好きです。

今夜は、綺麗な三日月が、日付を越えた頃から昇ってきました。
毀れそうな三日月と、一瞬で消える流れ星と。

例えばどこか遠くに、星だけ眺めに行きたい・・・と、深夜のベランダで一人で思った。



ふと描きたくなった深夜のデッサン。
相変わらず、瓶が苦手です。
硝子は苦ではありませんが、ボトル系の形状が極端に苦手です。
なにこの歪んだバランス。。どうしても、左右非対称。
悪い癖ですが、もうずっと描き込む作業を手放してしまった人間のデッサン力なんて所詮この程度だな・・・と淡々と客観視。

普通ならここから濃淡の描き込みと光を追い直す作業ですが、このバランスの悪さにそんな域にも至れず。そんな気にすらなれず。無論、着彩する気などには、全くなれず。

デッサンって、描く力よりも、観て捉える(観察)力なのです。
描けなくなった=見れなくなった・・・ということなのです。




本日の私の思考回路。
マリア・カラス ⇒ ペルセウスのメデューサ ⇒ サルバドール・ダリ ⇒ アンディ・ウォーホール⇒ ⇒ 7年前の記憶 ⇒ 私の少しの我が儘について。

覆せない現実は、逃避と浮上しか、自分を救える道はないのだと、そんなの、子供の頃に、充分学んだはずなのに。


今日、映画を観ていて、久しぶりに10代の頃に大好きだった曾禰好忠の歌に再会しました。
生没不詳の、平安時代中期の歌人です。すごく、懐かしかった。

私の通った高校は、小学生が九九を覚えなきゃならないみたいに、百人一首を全首を覚えないと卒業させてもらえない変な学校でした。




本日のおうちご飯。

ねぎ塩豚トロと生姜焼きの二色丼
ナスの揚げ浸し(出汁手抜き)・ポテトサラダ(買ってきた)・玉葱と若布(乾物)のお味噌汁。

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例えば高級なものなんかじゃなくても、誰かと一緒に食べれるごはんって、本当に幸せなことだと思うのです。
例えば日常の普遍的な一食を、一人じゃなく、美味しいねって笑って、誰かと食べれるおうちごはんと、そういう温かい食卓が好きです。

そういう場を、私と共有してくれる全ての人に、感謝。
by junkers-by-yun | 2012-08-13 02:39 | roots